ロッテンブーフ
ロッテンブーフ
ロマンチック街道はランツベルクからフュッセンに向かう途中、ショーンガウあたりで二股に分かれます。
いつもとは違う、その一方の道をしばらく行くと、ロッテンブーフという小さな村が見えてきます。
修道院として1073年に端を発するこの村を訪れる日本人観光客は、自慢ではないですが、ドイツ個人旅行をなさる私のお客様ぐらいのものでしょう。
何を隠そう、私もドイツの日本人ガイドをしていた時にバスの運転手に教えてもらった場所で、ヴィース教会の後で時間があれば、なるべくここ立ち寄ることにしています。
「こんな小さな村に、こんな教会があるなんて!」と思うほど絢爛豪華な礼拝堂は、すぐそばにあるヴィース教会ほど派手ではないのですが、どちらかと言えば、ちょっと落ち着いた感じで、私自身はこちらのほうが好きなのです。
感激するのは、教会の一角に、「クリッペ」と呼ばれる、キリストに関する人形が飾られており、クリスマスにはキリスト生誕、復活祭にはキリスト復活、といった具合に、人形が替えられるようになっています。
そして、10セントを入れると、その中に飾ってある教会の中から天使が出てきて、お客様に十字を切って祝福をしてくれます。
そして天使が教会に戻ると、覗きこんでいたお客様は、「ほ〜〜〜っ」と感激のため息をついて、ほんわかとした気分に浸ります。
かなり前、ドイツ個人旅行のお客様をお連れした際、村祭りに遭遇、村の人たちに混じってサンドイッチの昼食をとりました。
リューベック
リューベック
北ドイツのリューベックという町は、中世の時代にバルト海、北海の港町が、それぞれ商業的に協力しようという同盟を結んだ、いわゆるハンザ同盟の盟主として栄えた町になります。
特に、ノルウェーのベルゲンに商館を設け、ここからの棒タラと肝油、そしてリューネブルクで産出される塩を使った塩ニシンが、ヨーロッパ各地に運ばれていきました。
第2次世界対戦で、イギリス空軍によってドイツが最初の空襲を受けたのもこの地になりますが、見事に昔通りに再建され、昔の面影を残しています。
見どころは何と言っても、まず、町を一望できるペトリ教会からの眺めを堪能してからホルステン門、そのそばにある塩の倉庫、旧市役所、貧しい人たちのための聖霊教会病院、そして名物のロツポンと呼ばれるボルドーからの赤ワインが飲める船主協会のレストランをめぐるのがよろしいでしょう。
ノーベル文学賞受賞者のトーマス・マン、平和賞受賞者のヴィリー・ブラント氏も、この町の出身です。
惜しいことに、ここまで来る日本からのお客様は非常に少なく、長年ドイツの個人旅行ガイドをしている私自身もご案内したことは4,5回だけに過ぎません。
リヒテンシュタイン
リヒテンシュタイン
オーストリアの最西端に付帯している、と言ってもいいほどの小さな国がリヒテンシュタインです。
それもそのはずで、かつては神聖ローマ帝国の一部でしたが、その神聖ローマ帝国がナポレオンによって崩壊し、リヒテンシュタイン公国として独立したのがそのまま継承されているのです。
160平方キロ、人口約2万4千人の小国ですが、ファドゥーツ画素の首都になり、リヒテンシュタイン侯の居城は、その街を見下ろすようにそびえています。
独立国とはいえ、この通りの小国なので、最初はオーストリアに追従するような形で存在していたのですが、第1次世界大戦後はスイスにとって代わりました。
この国の切手は非常に有名で、郵政省の建物がが国会議事堂よりも大きいものになっています。
ドイツからスイスに抜ける途中で、ここに立ち寄ってみるのもよろしいいでしょう。
観光案内所では、2,3フラン程度で、この国に入国したというスタンプを押してもらえます。