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トラクター工場のドイツ語通訳
トラクター工場のドイツ語通訳
2021 年 06 月 27 日ハイデルベルクの隣町にマンハイムという、人口30万人ほどの町がある。
この町はドイツとしては非常に珍しく、旧市街が碁盤の目のように作られたために、住所を、「〇〇通り〇番」とは呼ばず、「A-7」とか、「C-15」とか言った番号で表示される。
それはそれとして、この町には、John Deerというアメリカ系の大きなトラクター工場があり、日本の代理店がドイツに得意客を招待し、この工場と知覚の農家を訪問することになっており、その通訳で2回訪れたことがあった。
この会社の広報担当の男性と話するが、どうもアメリカ人らくし、こちらがドイツ語で話しても、相手からは英語が帰ってくる。
「あ、ドイツ語でお願いします」、とお願いしても、最初はドイツ語だが、そのうちに英語になってしまう。
それでも、かなり解りやすい英語で話してくれるので、そのうち面倒になって、相手からは英語、こちらからはドイツ語の会話になってしまった。
お客さんたちがキョトンとしているので、「こちらからはドイツ語、相手からは英語で話していて、それで何となく通じているんですよね」と説明すると、大笑いされてしまいました。
トラクターとは言え、日本の小さなものではない。
それこそ、戦車と思われるかと思われるぐらい大きなもので、タイヤの大きさは2メートル以上。
倒れて来たら圧死は間違いないぐらい大きくて重い。
その工場を見学、質疑応答などが行われ、近くの農家を訪れたが、その規模の大きいこと!
なんと720ヘクタール、ということなのだが、その大きさはさっぱり想像がつかない。
自宅の回りの作業場、納屋などの敷地が120ヘクタールで、それだけでも大きすぎるほど大きい。
ご主人と奥さん、そして子どもたちがいるが、それに従業員が12人おり、奥さんが農作業をする、なんてこともなく、事務作業をしているそうな。
これはもはや農家ではない。
農場経営者、という感じである。
すごいなー。
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ドイツ語通訳 農業研修
ドイツ語通訳 農業研修
2021 年 01 月 24 日いつも仕事を頂いている小さな手配会社からの依頼で、今回は、北海道の農業学校からの研修生のグループの通訳の仕事を請け負った。
バイエルン州の小さな町で落ち合ったが、最初の仕事は、昼食をとっている間に、農業実習を受けるための学生たちのためのゴム長靴を購入する、という業務である。
早速、添乗員と最寄りのガーデン、農機具センターに行って状況を見てから、学生たちの足のサイズを聞いて、長靴を買いに行く。
その数、約25人分である。
翌日は、霙まじりの朝から、馬とヤギ、羊、そして鶏を飼っている農家の農場の堆肥を集める作業に終始する。
小生は、指導する農家の人の通訳と、学生たちの作業風景の写真撮影である。
一応、学校の実習作業単位として取り上げられるとのこと。
昼食は、その農家で肉料理を頂く。
午後は学生たちのミーティングだが、その間にバスの運転手と引率の先生、そして添乗員のホテルのチェックインを済ませておく。
ホテルに入ったのは夜中の10時過ぎ。
翌日は、別の農家で、バイオガス発電と酪農をしている農家を訪れ、昼食後に彼らとサヨナラする。
みんないい学生たちでしたね。
ドイツ語通訳 コロナヴィールスのドイツに行ってきました
ドイツ語通訳 コロナヴィールスのドイツに行ってきました
コロナヴィールスが蔓延しつつあるドイツに行ってきました。
滞在していたのは3月15日から19日までの5日間。
数年前からのお客様で、今回も特殊な機械を輸入するための商談ということで、ドイツ語通訳の仕事だったんですが、出張が具体的になったのは2月の中旬頃からで、最終的に決定したのは2月29日。
この時点では、コロナヴィールスのドイツでの状況はそれほどひどいものでもなかったので、楽観視していたのですが、その後、特にイタリアでの患者数が爆発的に増加し、ドイツでも連日のように千人を超える患者の増加が続いて予断を許さない状況になったのですが、出張を止めるわけには行かず、エイヤッとばかり行ってきました。
フランクフルト行きのフライトには、どうしても行かねばならない小生のような人たち、あるいはドイツに住んでいる人たちのようで、198名の座席に乗っていたのはわずか38名とのこと。
到着前に罹患した時のために住所氏名、滞在先の住所などを記入する紙を書かされました。
フランクフルト空港の中は空いていて、マスクをしているのはほんの数人だけで、中近東あたりからの人たちが工事用の防じんマスクをしているのが目立ちました。
サッカーの試合などの大きなイヴェントは中止、ということでしたが、15日の時点では、お店も通常通り営業、フランクフルト中央駅のそばの東横インに泊まり、仕事仲間としゃぶしゃぶの夕食を取りました。
2日目も、いつものようにビュフェの朝食を取るが、お客様がまばらであること以外は、何ということもない。
中央駅でレンタカーを取りに行き、途中ハイデルベルクの懇意にしているレストランに行ったら大歓迎されたが、お客様のキャンセルが続いていて、困惑しているとのこと。
「それでもねえ。91年の湾岸戦争から始まって、神戸の震災、エージェントの倒産に伴う不渡り、ニューヨークのテロ、SARS,リーマンショック、豚インフル、東日本大震災、と言ったことがあって、それなりに何とか乗り越えてきたんだから・・・」ということで励ました。
テレビでは、学校封鎖が行われることになり、イベント、映画館、売春宿、レストラン、といった人が集まる場所になるべく行かないように、なるべく間隔を取るように、といった注意が促されていた。
ドイツ出張3日目。
朝の9時にシュツットガルトの高級ホテルにお客様ご夫婦をお迎えに行くが、ホテルでは「外で待っていてください」と指示される。
訪問先では、やはり心配なのだろう、商談相手がマスクをして出迎えてくれた。
もちろん握手はなしで、大きな会議室に案内される。
昼食はレストランが閉まっており、会社が用意してくれたなすのグラタンとパスタの昼食を挟んで商談を終え、シュツットガルトのホテルに戻る。
夕方5時半頃にお客様から電話があり、日本食レストランを探すが、どこに電話しても通じない。すぐ近くの日本レストランを見つけ、そこまで足を運んだら、「州政府の通達により、18時までしか営業してはいけない」ということになったそうで、結局はお客様にその旨連絡をし、小生は持ち帰りの夕食を取った。
レストランは18時までの営業、食料品を扱っているスーパー、薬店、ドラッグストア、ガソリンスタンドは営業をしてもいいが、それ以外は閉店、ベルギーとオランダ以外の国境は封鎖、ということになっているらしい。
近くのスーパーに行ったら、どういうわけかトイレットペーパーとティッシュペーパーが売り切れていた。
ローベルト・コッホ研究所所長の記者会見では、ドイツでも毎日新たに千人以上の患者が罹患しているそうな。
出張4日目。
本来であれば、この日も商談を予定していたが、昨日で全て終了し、お客様がどこかに連れて行って欲しい、ということで、近くのウルムにお連れすることにした。
ウルムの漁夫の地域と大聖堂、そしてアインシュタインの記念碑などを観光し、イタリアンレストランで昼食をとったが、その際、身上書を書かされた。
ヴィールスが発病した際のトレースの目的、ということなんでしょうね。
お客様をシュツットガルトのホテルにお送りし、小生はフランクフルトの東横インにチェックインする。
ネットを見てみたら、「日本でも21日の0時から、外国から帰国した人たちは2週間隔離処理をする、ということが決定した」、ということである。
レストランは全く営業しておらず、仕方なく駅の売店でサンドイッチを買い、夕食とする。
テレビでは、メルケル首相が、「第2次大戦依頼の大きな試練に立っている。できるだけ社会的な接触を避けてください」ということで、国民に対して30分ほどの呼びかけを行っていた。
ドイツ出張5日目。
コロナヴィールスの影響で、旅行業界、鉄道、定期バスといった公共輸送機関が完全に休業状態。
ルフトハンザにいたっては、1週間ほど前は、約半分が運休、ということだったが、現在は運行しているのはわずか5%とのこと。
ルフトハンザ、旅行会社のTUIなどは、株価が1日で13%以上も下がってしまったそうな。
いつもはバイキングスタイルの朝食も、今日からはランチボックスとのこと。
こんな感じです。
ホテルのすぐ前の、FLIX BUSという、格安の路線バスターミナルは、バスはおろか、誰もいなく閑散としていた。
第1ターミナルはガラガラでした。
空港も閑散としていたが、JALのカウンターは結構混んでいて、学校が封鎖されたために、日本に帰る子どもたちが結構いました。
成田空港ではすんなりと外に出られた。
結局、病気をする暇なんかありませんでした。
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ドイツ語通訳 10日間
ドイツ語通訳 10日間
2020 年 04 月 22 日あるフランクフルトの通訳、翻訳事務所から述べ3週間にわたる仕事の話が飛び込んできた。
土日を除いての3週間、15日間にわたる通訳の仕事だったが、最初の1週間は他の仕事で埋まっているので、残念ながら断ることにした。
ところが、個人旅行のガイドをしている金曜日、先方から電話がかかってきた。
すでに件の通訳業務が始まって1週間である。
聞けば、来週の月曜日から出てほしい、というリクエスト。
「まあ、なんとか」、ということで引き受け、日曜日の深夜に指定されたホテルにチェックイン。
何の予備知識もなく翌日の朝に現場に行くと、ある自動車関連のアッセンブリーを作っている会社で、不良品が多いので、その品質管理、向上のための調査と対策のために日本からスタッフが来ており、その製造過程の監査、改善のための意見交換、ということであった。
それはいいのだが、来ていた通訳は私を含めて3人。
私の前に2人の通訳が来ていたのだが、一人は自分の意見を取り混ぜてしまって通訳としては使えないと判断されて帰され、もう一人は、専門用語に関しては堪能なのだが、文法的にドイツ語になっていない、ということで帰された、という話であった。
自分も、ドイツのドイツ語通訳として報酬をもらってはいるものの、パーフェクトとは思っていないが、帰された、という経験もないし、そういう通訳がいた、ということも聞いたことがない。
「自分は帰された3人目になるのではないか?」、とびくびくしながら1日目の業務を終えた際、、チームのチーフに聞いてしまいました。
「明日も来てよろしいでしょうか?」
こんな質問を相手にするというのは初めてである。
それだけ自分のドイツ語通訳の能力に自信がないのか?と言われればそれまでだが、他の2人の通訳が非常に優秀であったわけで、いつものことだが、通訳を業務を終えると常に、「もっとよくできたはずなのに・・・・」、と思うことが常である。
幸いなことに、「明日から来なくて結構です」、と言われることもなかった。
「本当は、帰したいんだけども、他にいないかもしれない…」、ということでお情けが出たのかもしれない。
翌日の朝食の際、もう一人の優秀な通訳の方に、「差し出がましいようですが、藤島さんの通訳時に、私が修正してもよろしいですか?」と言われる。
「それは私からもお願いします。大事なことは、正確なことを相手に伝えることであって、その際に私の通訳が良くないということで、恥をかくのは全然問題ありません」
というわけで、なんとか10日間の通訳業務を終えました。
勉強しないと・・・・・
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ドイツ語通訳 カールスルーエ研究所
ドイツ語通訳 カールスルーエ研究所
2020 年 04 月 22 日ある会社から、「カールスルーエ原子力研究所を訪問する小さなグループがあるので、
2日間のドイツ語通訳に行って欲しい」、という問い合わせがあった。
それまで通訳として色々な町、メッセ(見本市)、企業、病院、老人ホームなどを訪れたことはあるが、こういう研究所は初めて。だとしても仕事は断りたくない。「ご満足してもらえるかどうかは分りませんが、最大限の努力をします」、ということを伝えて承諾する。
幸いなことに、その訪問するグループリーダーから、研究所の資料と、訪問の目的、そして質問条項などを事前に送ってもらう。これが役立った。この研究所に限らず、双方の目的、事情を前もって 知っていれば、それに付帯する専門用語なども事前に調べることもできる。
というわけで、仕事の1週間前から、送られてきた資料を辞書を引きながら読む、という作業に専念する。
それにしても、研究所のバランスシートまで読むとは思わなかった。まあ、それはそれで、いつかの日の役に立つだろう。
というわけで、1日目は、電車で到着のお客様をお迎えし、昼食後に私のミニバスで研究所に向かう。こういう場合、足の確保ができているのは本当に便利だと思う(完全に自己宣伝ではあるが、少人数なので自分でもその方が仕事がしやすい)。
研究所のオフィスで内部の事情説明と質疑応答に3時間半ほど費やす。自分が思った以上に通訳がうまく進行した。
これも事前に資料を送ってもらったおかげである。
それに加え、技術的な話も出て来るが、私自身も興味があるので通訳していて面白い。面白いから疲れない。
翌日は再び私の車を使って、研究所内を移動しながらいくつかの施設の説明を聞く。
なんと、サイクロトロンを見る機会に恵まれた。
電子をぶつけて、チップの基盤を製造する、という普通の人では全く想像もつかないことをやっているそうな。
こういう機会でもないと、この様な施設を見ることはないだろう。
「高速増殖炉」、「ガラス固化」、「燃料棒」と言った専門用語も知ってはいたが、実際に使う機会があるとは思ってもいなかった。
良い勉強をさせてもらったものである。
ただ一つだけ、とんでもない誤訳をした、と後で気がついた。
ビュルゲン(buergen、保障する)と言う言葉を、ヴュルゲン(wuergen、絞め殺す)、
と言ってしまった。相手がちゃんと理解してくれたから良かったものの・・・・(冷や汗)。