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日本人ドライバーガイドのブログ

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アルンシュタット

アルンシュタット

2014年12月18日

バッハが1703年から7年までオルガニスト務めたという表示板

 

バッハ教会

 

バッハの記念像

 

旧東ドイツのテューリンゲン地方のある会社のドイツ語通訳のために二週間ほど滞在した合間を縫って、バッハが初めてオルガニストとして活動を始めたアルンシュタットにやって来ました。

生憎の日曜日の朝は、どこも開いておらず、しかも、バッハの教会は礼拝中、ということで中にも入れず、結局は写真を2,3枚撮っただけで町を後にしました。

ドイツのガイドをしている身としては不勉強この上ないのですが、お許しを・・・・。

詳しい下見はこの次の機会に、ということで。


 

ベルギー・アンヌヴォア城庭園

ベルギー・アンヌヴォア城庭園

2014年12月16日

お城の看板

 

庭園

 

堀に囲まれたお城

 

 

 

ベルギーの個人旅行をなさるお客様を10日間ほどご案内しましたが、時間があったので、ワロン地方のアンヌヴォア城の庭園を訪れました。

堀に囲まれたお城と、その周辺の庭園はきれいに刈り上げられ、自然の力で湧き出る噴水は、非常に落ち着いた印象を受けました。

観光客も少なく、ゆっくりと庭園を散歩しながら時間を過ごすことができました。


 

ワーテルロー古戦場

ワーテルロー古戦場

2014年12月15日

ライオンの丘と博物館

 

ライオンの丘からの戦場の眺め

 

ナポレオン軍(上)と連合軍配置図

 

博物館のパノラマ

 

ラ・ベル・アリアンスの建物

 

ベルギーの首都ブリュッセルから南に20キロほど行くと、ワーテルローの古戦場跡に到着します。

ここは、1813年に失脚してエルバ島に流されたナポレオンが、島から脱出してフランス軍を再編成し,リヴェンジを図った1815年6月18日の最後の戦場となった場所です。

7万2千のナポレオン軍と、イギリスのウェリントン将軍の率いるイギリス、ベルギー、オランダの6万8千人、合計14万人の軍隊が、その運命を賭けて対戦するのですが、前日の大雨で泥濘のために大砲が動かせず、ナポレオンは攻撃開始を2時間半遅らせました。

結局は、この2時間半が仇となり、救援に駆けつけた老将軍ブリューヒャー率いるプロイセン軍によってナポレオン軍は総崩れとなります。

正に、「勝敗は時の運」と言うわけです。

この古戦場には、その後、ライオンの丘が築かれ、この古戦場を一望できるようになっていると同時に、その下には博物館が建設されました。

この丘からは、戦場の舞台となったヒューゴモン、ラ・アイエ・サンテの農家、ウェリントンとブリューヒャーが勝利の握手を交わしたラ・ベル・アリアンスなどが眺められます。

「夏草や、兵どもが夢の跡」。

変哲もない、ただの大きな農場なのですが、個人的に好きな場所なので、個人旅行の私のお客様に対して、なるべくドラマチックに説明しながら、この戦場をご案内することにしています。


 

ワイマール

ワイマール

2014年12月10日

国民劇場

 

ゲーテとシラー像

 

ゲーテハウス

 

シラーハウス

 

カール・アウグスト像

 

ワイマールという町は、日本人にとっては馴染みの薄い町になりますが、ドイツ人にとっては非常に歴史的意義のある町になります。

まず、17世紀後半、ドイツがまだ「ドイツ民族の神聖ローマ帝国」と呼ばれ、約300の小さな国に分かれていた頃、ワイマール公国のカール・アウグスト公は、この町にゲーテ、シラーと言った劇作家、音楽家のフランツ・リストなどを招聘してドイツ文化の中心地としました。

また、1919年、第1次世界大戦後の混乱時期、共和国となったドイツは、政情不安であったベルリンを避け、この町で現在のドイツの基本法の元になったいわゆるワイマール憲法が制定されました。

その会議場であったワイマール国民劇場の前には、ゲーテとシラーの像が建てられていますが、この銅像は、かの有名なバイエルン王国のルートヴィッヒ2世の祖父に当たるルートヴィッヒ1世から寄贈されました。

この国の総理大臣とも言える大柄であったゲーテと、イエナ大学の教授であった華奢で小柄なシラーは、同じ大きさで並んでいますが、これは、両者とも、ドイツ文学に貢献した功績は同等のものであった、と言う解釈に寄るものだそうです。

人口6万人ほどの町ですが、多くの音楽家を排出したフランツ・リスト音楽大学では、夏に行われる音楽講習に多くの音大生が世界中から集まります。

見どころとしては、ゲーテとシラーの家、国民劇場、ゲーテの別荘がある公園、郊外のベレヴェデーレ庭園でしょうか。



 

ロンドン

ロンドン

2014年12月04日

テームズ川とタワー・ブリッジ

 

大英帝国博物館のロゼッタ・ストーン

 

ビッグ・ベンと国会議事堂

 

ウェストミンスター寺院

 

バッキンガム宮殿

 

1980年からドイツに住んでいるのですが、それまでドーヴァー海峡を渡ったことがありませんでした。

今回、メッセ訪問のスタッフの方の送迎と通訳が必要となったため、私のホームページをご覧になり、専用車と通訳をご用命していただいた方が、ロンドンに留学にいらしているということで、ちょうど良い機会とばかり、初めてロンドンを訪問しました。

ドイツで長年旅行ガイドをしているとはいえ、ロンドンは全く無知の町であるために、完全に一般の旅行者と同じ気持で旅行ができました。

空港での両替から、電車、地下鉄のチケットの入手、そして地図を見ながらのホテル探し。

完全にお上りさんです。

人口800万人以上を抱えるヨーロッパ最大の都市は、4日間の滞在ではとても見きれるものではありません。

そういうわけで、本当に、見どころの見どころをざっと通しただけ、という感じですし、大都会なだけあって、地下鉄の乗り換え、そこから目的地までの歩き、という行動は非常に疲れるものでした。

普段は、日本からドイツを訪れるお客様を専用車にお乗せして町の中を観光するのですが、ロンドンの場合、交通量が非常に多いのと、駐車場の事情がかなり厳しいようで、とても無理としか言えないでしょう。

個人旅行の場合は、観光バスに乗るか、地下鉄で移動するのがよろしいようです。

今回回った場所は、それこそパノラマ観光というべきもので、ロンドン塔、ビッグ・ベン、ウェストミンスター寺院、バッキンガム宮殿、大英博物館といったところをゆっくり観光しただけでした。

全体の印象としては、新旧渾然一体としており、交通量が激しく、そして下町にはコンビニが多い、といったところから、非常に東京に似ているような感じでした。

ロンドンは何度行っても知り尽くせない、という感じでしょうか。



 

ローテンブルク帝国自由都市祭

ローテンブルク帝国自由都市祭

2014年12月04日

市長役のおじさん(左)



 

中世の服装をした市民



 

こんな小さな子供まで



 

水攻め懲らしめの刑



 

フィナーレの花火



 

1618年から48年まで、ドイツは30年間戦火に見舞われます。

これを歴史では30年戦争と呼んでいますが、1631年にローテンブルクも、カトリックのスウェーデン軍に包囲されて激戦の後、町は降参します。

司令官のティリー将軍は、「町を焼き払う」と宣告するのですが、「それだけは・・・・」と町の参事官たちが交渉しますが、埒が明きません。

そこへ、「まあ、これでも飲んでください」、と最高のワインが入ったジョッキを勧められ、その美味しさに機嫌を直した将軍は、「よし。誰か、これを一気に飲んだら許してやろう」、と言う言葉に、前市長、47歳のヌッシュ氏が、これを見事10分間かけて飲み干し、見事に町が助かります。

これは、「ローテンブルクのマイスタートゥルンク(大酒飲み)」、と呼ばれ、この故事にちなんで、毎年降臨祭になると、2週間にわたり帝国自由都市祭が開催され、町は中世一色に染まります。

町の演劇クラブがこの大酒飲みのお芝居を上演しますが、市長役の方は本当に3.25リットルを飲み干します。

その瞬間、観客からは大きな歓声と拍手が沸き起こります。

ただし、飲んでいるのはワインではなくて・・・・・何でしょうね?

そればかりではなく、町のあちこちでは中世の市場などが広げられ、大人から子供まで中世の服装をし、兵隊が町を練り歩きます。

そして、広場では羊飼いの踊りや大道芸人の芸当が披露されます。

もちろん、町の中は朝の9時から18時まで車の通行は完全にシャットアウトされます。

この時期にいらした私の個人旅行のお客様には、町の説明はほどほどにし、なるべく長い自由時間をすごしていただくことにしています。



 

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